5月6日
GWまとめ
4/28
このGWに翻訳に一区切りつけようと思い、6章に着手する。朝からうどん屋2階のカフェで少しずつ進める。あと少しというところでPCのバッテリーが無くなる。そのまま家に帰るのもなんなので、いったんメールで残りをスマホに送った後、気になっていた銀座のME Cafeに行ってみる。休日価格と思えば悪くないランチだった。映画館の待ち椅子で翻訳の残りを済ませた後、フィフスウェイブを観る。実にひどい映画だった。チープとかではなく、作り手が何の思い入れもなく機械的にそれっぽい要素を並べたというだけでその後の期待もできないまったくもって「無」の映画だった。「無」とは静けさや暗闇のようになにも存在しないという意味ではなく、そこにものは存在していないのにそこに「情報量が全く無い」ホワイトノイズのようなものとして巷にありふれているのではないかという想いに至った。そんな気づきを得られたという意味では悪くない体験だったのかもしれない。脱力して帰宅。リンガーハットで晩ご飯を食べる。店員が盛大にちゃんぽんをこぼした。
4/29
朝から翻訳。12時過ぎには終わる。どうやら10パラグラフ1時間で終わるようだ。
夕方から岡村靖幸ライブツアー2016「幸福」東京公演に行く。音響も良く、なによりも主役が楽しそうだったので素晴らしいライブだった。
4/30
一応朝からの翻訳ノルマが終わったので18時くらいにTokyoRに行く。道玄坂上で開催だったので、せっかくだからFab CAFEに寄る。渋谷でお茶する時はこことヒカリエのCream croppedで良いかも。
TokyoRの懇親会は飲み過ぎた気もする。人に余計なことをけしかける癖をやめよう。
5/1
飲み過ぎの後遺症かぼんやりと一日を過ごす。記憶があまり残っていない。夜は飲みに。荻窪にいったん行ってから店がいまいちだったので高円寺に移動する。焼き鳥→抱瓶。抱瓶にボトルを入れる。
5/2
何をしたか全く覚えていない。
5/3
岡村靖幸ライブツアー2016神奈川公演へ。正面の席だった。ホールはホールでゆっくり観ることができて良かった。ライブの前に寄った聚落の肉まんがとてもうまかった。ライブの後に寄った台湾料理の店も良かった。ビーフン炒めの食感と味。
5/4
翻訳が終わる。なんだかんだで最後の3日間は気が抜けてペースが堕ちてしまったがなんとか終わって良かった。開放感に溢れつつ、高円寺で3時から飲む。ユタニ氏とKudo氏。Kudo氏は遅れてきた。やたら日差しが強く直射日光を正面から浴びつつビールを飲んでいるともう何も考えられなくなった。ニフラムを体感。焼き鳥→沖縄、そしてゴールデン街へ。適当に入った店で中森明菜が流れていた。
5/5
響け!ユーフォニアム劇場版を観に行く。総集編だけど決して観て損をするものではなかった。TV版は主人公を黄前久美子1人として幼なじみとの関係なども含めて彼女の周囲を掘り下げていたけれど、劇場版は主人公を2人として関係性に重点を置いた編集になっていた。
沖縄そばを食べて一度帰宅してからゴールデン街に飲みにいく。マデイラワインはポートワインのような風味で好きな味だった。
5/6
ここ最近、朝ご飯はなか卯で食べている。生卵無料券がついてくるのでそれを使って毎朝2個ずつ卵からタンパク質を摂取。日本人の「普通」の家庭なら意識せずとも必要摂取量を満たしているらしいがその「普通」に独身外食男性は含まれていない。ということで積極的なタンパク質が求められている。昼ご飯はいつものうどん屋カフェでカレーを、と思ったら隣のそば屋があいていたのでざるそば+天べんをいただく。サービスで佐渡島のうどをいただいた。うどを桜の灰汁でアク抜きしたものを西京味噌で和えてある。月並みだがこれが「春の香り」かと思った。
部屋の掃除というか本の整理をする。勉強用の本と人に直結した教養の本と仕事用の本という観点で分ける。大幅に本を減らさないとな。あと四畳半神話大系と四月は君の嘘のアニメを見返す。人に勧めた以上は、と思い「きつねのはなし」を読み返す。良い小説は人を静かにさせる。文章に密度がある。こんな本を書いたらそりゃすり減ってしまうだろう。
近くでピザを食べてからまたゴールデン街に行く。ロシア→猫→居酒屋って感じで実に素晴らしい夜だった。
5/7
四月は君の嘘を最終話一歩前まで見続ける。太鼓の稽古にひさびさに顔を出す約束をした。
夜は寿司→マデイラワイン→猫だった。
酒は(鶴友がなかったので)〆張鶴、喜酒、洌、越後で候、三十六人衆、田酒山廃、喜鮨。喜鮨はじゃっかん味が丸くなったか。しかし生酒なのに紹興酒みたいな味わいはなのはなぜだろう。
ゴールデン街はあまりキラキラしている感じが無かった。
jazz up が無かったからだろうか。まあマデイラの店員さんが綺麗な方なのでいいや。
5/8
5月15日
悩みを抱えている時、その解決には「具体的な問題点整理」と「承認」の二つの方向性がある。前者はその名の通り、悩みを聞いてなにがまずいのか課題を整理し、具体的な解決方法について考えるというものである。後者は悩みは聞くものの具体的な解決法は提示せず、相手の立場や考え方を肯定するものである。経験が少ない若い頃は前者も役立つが、歳をとるに伴い、後者の必要性が増してきたように思う。ふつうは後者をいわゆる「家族」が担うのだろう。場合によっては「生き甲斐」なるものがそこを支える場合もあるかもしれない。生きていい、前に進もうと支えてくれるそんな存在があるかどうかで人生は楽になる。インプットやアウトプットでは解決できない。
息もたえだえに生きていることを言葉で伝えないとわからないのだろうけど伝えずともわかってほしいという気持ちも一方である。
9月25日
校長の話が出てくる。本筋とは関係ないが。
http://konomanga.jp/interview/811-2
それで思い出した。
一時期、どんな話でも面白がることは可能なはずだと頑張って校長の話を聞いていたことがあった。
実際面白い箇所もあった気がする。気がするだけで覚えていないので意味はなかった。
http://konomanga.jp/interview/811-2
フランソワ・モルレが亡くなっていたことを知った。
彼の作品を東京で見てからもう10年経つらしい。
作品の名前が「風景―海景:高潮」であることを知った。またどこかで見られたら。
9月24日
久しぶりにカラオケ屋で笛の稽古をした。
しばらく家で稽古するようにしていたのでカラオケ屋で吹くのは久しぶり。
なんだかんだで700円くらいかかるから家で吹いた方がお得なんだよな。
でも家を出る用事が多くなってきたので、外で定期的に吹かないと年末の舞台に間に合わない。
カラオケ屋のリサーチも兼ねて、毎日昼に吹くことにした。
制限時間は30分、盤渉楽を通しで1回、あとは気になったところを直す。
昔は1時間吹いていた。
しかしどうしても今は集中力が続かない。
30分の制限とした方が濃縮された感じがしてよい。実際1時間吹くと後半はダレる。
出るときに店員から「楽器を演奏する際は一声かけてください」とたしなめられた。
出禁じゃないだけマシか。
4月17日
将来に希望がもてないこと、について最近考える。
生きる意味、なんて内在するものではなく、外からもってくるもの、しかもそれは往々にして誤解、なんだけれど。
私の年齢なら多くの人は結婚し、子供をつくることで、生きる意味をそこに見出す。
「この人のために生きる」「この子が一人前になるまでは頑張る」。
そうでなくても、仕事や仕事でなくても何か没頭できるもの、について生きる意味を見出す人もいる。
いずれにせよそれらは全て人との関係を前提にしたものだ。
人との関係をとっぱらってそこに希望は見出せるのか。
人との関係の中で問題を先送りにしているだけではないのか。
そんなことばかり考えるのは最近生活のペースを守ることに注力しすぎたからだろうか。
1月5日
漠然と定年後のことを考えがちだがそこまで生きているのだろうか。
9月11日
決死の思いで臨んだイベントに失敗。
ここであきらめずに二度、三度繰り返すべきなんだろう。
でも心がそこまで持つのだろうか。
こういう出来事を昇華できるタイプではないのでしばらく鬱々とするのだろう。
まあいい、病院に行く理由ができた。