2019/6/25
晴れ。暑くはない。
例の情報交換は盛り上がる。プライスコレクションではないが、こんな時に現実的な金策を繰り出せる成人でありたかった。コレクターではないので笛をためこむつもりは毛頭ないが、紹介された銘管がどんな音色かは気になる。
良いことは重なるもので、笛の修理が完了した旨連絡をいただく。今回の笛は手に入れた時は歌口より上がない状態だった。筒はぼろぼろ、笛袋は筆で謂れが書いてあった。どこまで本当なのかよくわからないが一噌十六管の獅子(大獅子と小獅子)二管のうちの一管らしい。とはいえ割れもひどく、漆も塗り直しになったので実際は新管みたいなもんだろう。日曜に受け取るので楽しみだ。
ちなみに大獅子は杉山立枝が黒田公より借りて吹いていたという話が有名だ。彼の死後は記録に残っているものだと某森田流の笛方の家に移ったようだ。とはいえ別所でも大獅子の話は聞くのでどれが本当なのかわからない。雅楽器の収集家として有名な井伊直亮の史料など読んでいると銘のある道具の流通は雅楽・能を問わずビジネスとして確立していたようで、同銘の道具が複数あってもおかしくない。私が有している銘のある笛も同銘のものを史料上少なくとも四管見つけている(現存は確認せず)。
なお、もう一つの獅子である小獅子については焼失したとある。火事跡で道具の焼失を確認したかどうかは不明なので、焼け残ってその後流通した可能性もある。ひょっとしたら先の笛はそれかもしれない。まあこういうのは夢があった方が良いので筒と箱をあつらえてみようかと思う。
2019/6/24
雨。原稿を一本仕上げる。
面談は疲れる。
今まで後回しにしてたけど、資料も大幅に手直しが必要だなあ。メッセージを定義して構造化する。プレゼンなのか、配布資料なのか、読まれる形態を想定し、それに合わせて情報量を調整する。そういう当然のことをやれていない。自分より得意な人がいるからと任せてたけど、その資料で話すとどうにもやりにくい。多少時間がかかっても作っておかないとなあ。
日本のいちばん長い日のラジオで流れてくる謡は船弁慶だと教えていただく。サントラを一度確認してみるか。既存音源で一噌流となるとそれなりに絞られてくる。昔ほど音源収集に情熱を燃やしてないが、パッと聴いてわからないのはやはり気持ち悪い。
日記にルールを設けよう。最後は前向きなことを書いて締めくくる。というわけで、明日25日は楽しい(皮肉ではなく)情報交換が待ってる。またその報告はおいおいやりたい。
2019/6/22
廃業されたと伺っていた先生の笛をオークションで見かける。もちろんご本人は名乗っていない。笛について二、三質問をしていたらその流れと居住地でわかってしまった。確か私と5歳も変わらなかったように思う。
どのような想いで笛を外に出されるのか。もちろんもう10年以上前に舞台でお見かけすることは無くなっていたので、心の整理はずいぶん前についていたのかもしれない。
2月26日
買い物といえばやはり能管なわけだが、最近また一管ご縁があった。
以前古美術商のサイトで見かけて銘はよく覚えていたのだがまさかお目にかかれるとは思ってなかった。
日本三名管の一管!1500年作!森田流家元より譲り受ける!1951年某記と箱裏に書かれていて小気味良い。
しかし箱表には森田とは名のつくものの家元ではない笛方の名前が記載されているし、1951年以前に最後の森田流家元は亡くなっているわけで箱書の信憑性はきわめて怪しい。
まあ、作りは端正でそこまで吹き込まれていないものの竹もそれなりの年数を経たもののように見える。実際吹いてみると実に吹きやすく、高音も耳に優しい丸みを帯びた音であり、他に持っている古管と同じ印象をもつ。舞台でも使える笛だと思う。
幸い箱に書かれていた笛方の名前は以前の師匠筋でもあり、そこを辿ればルーツがわかるかもしれない。最近は音の良し悪しにかかわらず銘のあるものだけを求めるようにしているが、銘の有無による美術品的価値はどうでもよく、このようにルーツを辿れるかどうかというのが大きい。
9月7日
簡潔でありながら内容に富んだ書評は貴重である。
しばらくこの武田正明の書評を読む。
https://www.bookbang.jp/tag/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E5%B0%86%E6%98%8E
9月2日
「今なら、みんなの言っていた「幸せ」がどういうものなのか、少しはわかる気がする。それは、「絶望しないための工夫」なのだと、「生きてゆくための知恵」なのだと、わかる。生きていることがつらいと思わないための「幸せ」なのだろう。」
若くして亡くなった人の書いたものを読んでいる。
物事を表現するための網かけの粒度をもっと細かくしたいと思う一方、その粒度で自分と向き合ったら人生はもっと辛いことになりそうだなとも思った。
8月15日
数ページ読んで積ん読という事態になりがちなので、酒飲みながらでも一気に読んでしまうことにした。
得るところが多かった。屏風は下から見上げると良い、覚えた。
あと、後半で紹介されていた光明本尊、まさにSOULだった。テクノ法要じゃん。
感性は感動しないー美術の見方、批評の作法 (教養みらい選書)
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読んでいてあれ?椹木さんってこんな考え方だっけと首をひねる。
とはいえ「なんにもないところから芸術がはじまる」と「反アート入門」くらいしか読んでないのだけれど。
このエッセイはとりあえずさらっと読んで、上2冊を読み返すことにする。
昭和の話はもういいよという気持ちになっていたのだが、聞いたことがないエピソードもいくつか載っていたので購入。
この本でたまに昔の雑誌記事が引用されている。能楽師と評論家がまだお互いに影響し合っていた頃の雑誌記事(「能楽」の座談会とか)は議論が生々しくて面白そうだな。