ぱりぱりぴんぽろぺろぺろぷん

買ったもの見たもの読んだものはこちら

8月11日

物事を抽象化して捉えると全て見えた気になってやる気がなくなる。対抗するには何気ない日々の手順を丁寧に追っていくことだ。たとえば炊事洗濯掃除。目前のものに集中し頭ではなく感覚で味わう。倦怠を打破するにはそんな訓練が必要なように思う。

一定のアウトプットをしないと澱が溜まってくる。今までその対象は人間だった。色々な人とふれあうことで手を変え品を変えアウトプットしていた。だが別に人間でなくとも良いような気がしてきた。たとえば文章。たとえば楽器。ただただ技術に習熟していくことに没頭する。それで充分なのではないか。とかく人間は辛い。距離を置きたい。距離を置けるような生き方をしたい。

舞台を観た。舞3つと楽1つ。わからないと突き放すのではなくなぜその表現なのかを理解するように努めた。が拙い。テーマは突き詰めたのだろうか。与えられたテーマから想起するものを表現するというのはわかる。だがそのままでは観客には伝わらない。切り捨て煮詰めた凝縮が必要だ。そしてその凝縮物をどのようにして伝えるか。そこで身体が問われる。技術が問われる。指先一本動かすにしてもそこに理由は必要だ。必然性の無い動きをしていいのはそういうコンテクストにある一部の人間だけだ。発散のみを感じた舞台だった。