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2019/6/27

この記事で言われていることはよくわかる。

https://note.mu/qantasmz/n/n869673f2c105

昔から手続き周りが非常に苦手で、院試受験時も試験の内容より申請でミスして門前払いになるのではという不安が拭えなかった。とりあえず出してみて問題があれば適宜直す、というスタンスで生きてきたので問題があれば一発アウトという手続きが非常に苦手である。臨床医にならなかった理由の一つでもある(もちろん他にも理由は多数ある)。

あと、みんなができることが自分だけできないというのも実感としてある。小学生の頃育てた朝顔はクラスで一人だけ白くて小さな花だったし、足は学年でトップレベルに遅かったし、蝶々結びができるまで半年かかった。身体感覚の問題だと思うが、朝顔の話はよくわからない。

https://note.mu/qantasmz/n/n7652f1b7f760

 

さて、今日も銘管について書く。銘管を探す楽しみとしてかつての保有者に想いを馳せるというものがある。たとえば江戸時代の文書に記録が残っていればその時代からその笛は存在していたわけで、少なく見積もっても200年は生き延びている。その間どのような人にどのような想いで使われてきたのか、手持ちの笛にそんなことを考えている。まあこれはアンティーク趣味の人全てにいえる話かもしれない。

そういえば常夏という銘管がある。七十種銘管録にも記載がある。銘は源氏物語由来だとは思う。人伝えでこの笛も現存すると聞いた。あまり銘に惹かれることはないのだが、この笛に限っていえば字面が良いので機会があれば手に入れたいと思っている。

今週末はいくつか銘管関係の史料を確認に国会図書館へ行き、修理に出していた笛を受け取る。能管について自分以外調べている人はいないという事実は寂しくもあるけど使命感もあり、まあ楽しい週末になりそうだ。